Verbalization

「まぁいっか」が口癖の僕が、思ったことをちゃんと言語化するための場

プログラミングはじめました

このブログは特にSNSでシェアしたり知り合いに教えてはいなかったので、自分以外は誰も見ていないだろうと予想していた。ただ先程ほど確認したら30件ほどアクセスがあり、自分なのでは?と思いつつ見ている人もいるのだなあと。

 

以前、ものを創れる人になりたいという記事を書いたが、最近はProgateというオンライン学習サービスを使ってプログラミングの勉強をしている。

終わったのは

今は

を進めている。

 

Progateは、

  • ド素人向けに解説が丁寧&「とりあえず今はこれだけ覚えて!」的なポイントの抑え方が良い
  • 1つのトピックにつき解説と演習がセットなので(青チャートとか、問題集を思い出しますね)、覚えた知識をその場で使えて、あっ書けた!ってなる
  • レベル上げや経験値がすぐに溜まってどんどんレベルが上がっていくのでゲーム感覚で楽しい
  • UIやレイアウトが親しみやすい

などの特徴があり、とにかくプログラミングへの敷居を下げて、最初の入門となることを強く意識してサービスが作られているなあと思う。

(よく比べられるTechAcademyなどは、オンラインで質問できる、ブートキャンプなど一気に集中して取り組むなど、スキルをさらに高めたい人向けかな)

 

余談だが、Progateはレベルが上ったらSNSにシェアできる機能があり、これを使ってみたところProgateの社員の方がいいねしてくれた。

Botなどではなく手動で検索して、いいねを押してくれている。一緒に勉強する仲間がいないので励みになった。

今のところ週1〜2ペースではあるけどゆるく楽しく取り組んでいるので、もう少しペースを上げて、年内に超簡単でもいいからウェブサイトか、アプリを創るぐらいまでいけたら理想的だなと思う。

直近のメモたち#2

ペンタゴン・ペーパーズ(The Post)良かった。ざくっと感想を書いたので残しておく。

 

・誰を向いて仕事しているのか、何のために会社(新聞社)はあるのか。そういったことに大事な示唆をくれた

絶対に文書を記録して、意味のない戦争を止めるという思いを持っていたダン

最初は競合(NYタイムズ)を見ていたのが、報道とは何か?報道の自由を守るには報道しないといけない、という覚悟に行き着いたベン

 

メリル・ストリープ演じるキャサリンの人間的な成長。

主婦からいきなり社長になり、男性社会の中で女性社長であることや能力への自信のなさから、ノーと言えないようなお嬢様社長だった。証券取引所との会議では、自分が考えてきた内容を別の役員がしゃべった。

大統領とのディナーやクルーズに誘われ、批判することはしなかった。

それが、

元社長の父親や亡き夫でもなく、自分の会社なのだと自覚して、自分の人生を懸けた決断をする、その勇敢さとそこに至るまでのプロセス

仕事をするうえで持っていたい矜持だなあ

 

 

・まだまだ男女平等でない時代に描かれる女性の芯の強さ

政治の話題になったら女性はサロンへ、とか 株式公開の銀行の会議室には女性は入れない、(キャサリン率いるWPは)女社長だからだめなんだというセリフ

キャサリン自身も硬派な論調に対し「もっと女性ウケする記事を」というスタンスだった

そこからの変化をうまく描いている

最高裁の政府側スタッフの女性の話、法廷を出た後の女性たちの目線

靴とドレスの記事なんてごめんよ!という記者メグ

キャサリンに共感し、どれだけ勇敢かをそっと伝えるベンの妻

 

ここぞと言うときに踏ん張れる、咄嗟に勇敢な行動を取れるのは、実は女性の方だと、過去の経験や最近の相撲土俵のニュースを見ると、思う。

それは、自分にとって何が重要かの価値判断を行う軸がしっかりしているんだろうな。

 

直近のメモたち

ブログを書こうと思うとまとまった時間がどうしても必要になるが、

ツイートだとちゃんと言語化されずに消えてしまうということで、少し長めの思考はiphoneのメモに書いておき、ここにまとめることにした。

最初なのでろくにまとめもしていないです。

 

・フィードバックを受けた時にネガティブな反応をしてしまうこと

承認欲求の満たされ先として仕事を求めてしまうこと(とにかく褒められたい)

に対して、どう捉え、どう対応したら良いか

価値に向かう姿勢ではないことは頭ではわかるが感情的に耐えられない、防御姿勢にはいってしまう

なぜなのか?

→フィードバック=自分の否定ではないということが心の中では切り分けられていないのかも

→こんなことでつまづいている場合ではない、と思ってしまう。理想の自分(それも理想じゃなくてあるべき、みたいになってしまう)とのギャップ

いまの自分を客観視できていない?(現実をないまま理想ばかり高くなっている)

同期や先輩後輩でももっとうまくできる、と比較することから逃れられていない?

 

・本来的には、betterな自分になるためのものなのだからポジティブに捉えて良いはず。ネガティブなフィードバックかきたからといって、評価されないとか、そういう訳ではない

→自分に対する苛立ちや不安だとしてもFBする側からはただのプライド高くて人の話を素直に受け入れられないと思われる

→やめた、とか、もうできる、ってなったらそこで止まってしまう。まだ学ぶべきことがたくさんあるとか、もっと良くなれると思うこと

逆にそこまでの情熱が持てないとか、自分を(ある意味)痛めつけてまでやりたいことではない、という可能性も存在はする

自分ができると思うことでも 他の人はもっと努力して高いレベルでやっている、not trying enoughな可能性は常にあるよね

 

足りないところは反省しつつ、自分が持っているものや積み上げてきたことには素直に自信を持ちたいなぁとおもう

予防線を張ったり人から承認してもらわなくても自分で自分を承認できるようになりたい。

悪い、ダメというのほうがよほど簡単。

良いものを良いというのは審美眼も必要だし、覚悟も必要

上に行けば行くほど承認される機会なんて少なくなる

self confidenceをもって、人が何と言おうと自分はこうなんだとか、こっちを進めばいい

変に卑屈になったり自分を下げて、周りに「そんなことないよ~」って言われるのを待つ態度、嫌いな先輩がやってたやつ。

それを自分もやるのか??いやそうではないだろう.

 

3年

3月もギリギリのところで月2本目のブログを達成。
ブログというか、構成も日本語もメッセージもめちゃくちゃな、
ただテキストメモで書き殴ったものを、
どうせ誰も読んでいないと「公開」をぽちっとしているだけなのだが。

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今日は3/31という節目の日で、
会社員として働き始めて3年間が経った日。
(ちなみに今週は会社員人生初の海外出張で、今朝シドニーから深夜便で帰国し、
疲れ果ててほぼ丸1日寝ており、その反動でいま非常に元気。)


◆とりあえず、3年間続けられたことは、自分を褒めたいと思う。

自分の勤務先は、ビジョンへの志向が強く、プロフェッショナル意識の高いいわゆるベンチャー企業

ビジョンへの共感が強く達成したい理想像を描いて底に向かっていく社員や、
成長意欲が高く、長時間働くことを厭わないような社員が多い。
就職活動で何十社も受けることが当たり前な中、
「ここしか受けてません」というメンバーもいるぐらいで。

翻って、自分は第一志望の企業に二次選考であっさり不合格になり、
想定していたほど就活がうまくいかない感覚もあって、
一番最初に内定が出たところでさっさと終わらせたかったというのが本音で。
自分は「なぜ入社したのか」「ここで何をしていきたいのか」
が曖昧で、何となく仕事を始めていたな、と今になっては思う。

そんなマインドセットで入ったものだから、はじめの仕事ぶりは散々だった。
でもそこから少しずつ、仕事の仕方からはじまり、
プロジェクトに必要なスキルも少しずつ身につけていって、
3年目の今年は初めて連続で評価を上げることができた。

会社自体は、決して良い環境だとは言えない。
深夜残業や休日出勤が多いとか、その割に給料や福利厚生はそんなでもないとか、
上司が部下に対して「詰める」ような文化が強いとか。
外から見れば「ブラック」と呼べるような要素はたくさんある。

その中で続けられたのは、以下があると思っている。

・自分を見捨てないで期待を掛けてくれる上司や、ポジティブな言葉を掛けてくれるメンターがいたり、
会社をやめても付き合っていきたい友人と呼べる存在ができたこと

・1年目~2年目ぐらいは、早くから活躍している同期に対して焦りや嫉妬の感情が強かったのが、
より自分がすべきことに集中するようになったこと

・何もできない、全部頑張らないといけない、という状況から、
段階的な目標を、上司の力を借りてうまく設定できたこと。
特に3年目はその目標とプロジェクトのアサインがうまくはまったこと。

上手くいかないこともたくさんあったけど、
なんとか頑張ってここまで来たじゃん、
という気持ち。

◆会社は確かに社員に成長してほしいと思ってはいるが、
人生に責任を持ってくれるわけではない。

一方で思ったこと。

何を考え感じているか、黙っていても察してくれるわけではない。
お膳立てしてくれるわけでもない。
上司のことを人として好きだからと言って自分を主張してはいけないルールは無い。
そこを変に慮ると自分が損をする。

自分は「物分りの良い」「わがままに自己主張しない」方に偏りぎみなので
考えていることをちゃんと言語化して主張しないと、
会社に取って都合が良い(=例えば売上を埋めるためだけの案件や、重いが評価されにくい案件にアサインされる)
だけの人材に成り下がってしまうなと思ったし、実際にそれに近い経験もあった。

Verbalizationと題されたこのブログを始めたのも、
いつも考えがまとまらない自分が、少しでもその時その時で思ったことを
ツイートして流すだけでなくちゃんと書き溜める意図もある。

◆自分の人生の手綱は、自分で引く


もう一つは、ここまで「頑張って続けてきた」という旨のことを書いておきながら
全く逆のことなのだが、
会社勤めは、「意外とできちゃう」ものだなと思った。

大学生のときは40年も仕事するなんて信じられないとよく友人と話していたし本心から思っていたが、
勤めてみると3年は一瞬のように過ぎ去っていった。
この調子で「一瞬で」定年まで勤めることも、また可能である。

そう思ったときに、少し怖くなった。
現状の居場所に意味づけをし、そこにとどまる自分を肯定することは易しいけど、
それで本当に良いのか? 本当に望んでいることを(無自覚のうちに)手放してはないか?と。

そんな風にして、人生を勤務先に預けている人もたくさんいると思う。
転職文化がすくなく、勤続しつづけることが良しとされる日本においては特に。
(※勤続しつづけること自体を批判したいわけではない)

なぜかというと、その方が楽だからと考えている。

自分が本質的に何を望むのか、それを手に入れるために何をしなければいけないのか。

たくさん考えて行動し、時には人と違うことに、勇気を持って踏み出す必要がある。
それは自分の弱さやコンプレックスとも向き合う作業で、孤独で辛い。
1~3年目は目の前の仕事をすることで精一杯で、
ある意味考えることを先送りにする言い訳もできたと思う。そのまま「目の前の仕事」だけで人生を埋めることもまた可能である。
でもそこから逃げずにトピックを真剣に考えたい。

結果として、それは転職かもしれないし、そうじゃないかもしれない。
仕事で自分の時間を全部埋めず、自分の人生の手綱を自分で引くための時間を
最大限取っていきたい。

よし3月を3分残して完了!4月からもがんばるぞー。

自分の手で創るということ

3月になって1つ目の記事

年間100本のブログを書きたいと思っていたが、早々にペースを落としてしまい目標がかないそうにないので、変に目標を決めず、でも心の底では50本以上100本以下ぐらいなテンションで続けていく所存。

 

コンサルタントのおしごと

いまの仕事における自分の肩書はコンサルタントである。

世の中一般のイメージでは、コンサルタントロジカルシンキングを駆使する人というイメージがつよいのだろうか。

自分の場合は、「主にデジタルサービス・マーケ・WEB領域」かつ「ユーザリサーチが得意」なコンサルタントとして仕事をしている。

 

事業方針が発表され、今後はより、顧客を惹き付ける体験設計、エクスペリエンスデザインの方向に舵をきっていくということだ。

エクスペリエンスデザインはビジネス・戦略レイヤーから日々の運用レイヤーまで適用することができ、モノが売れないいまの時代には面白い仕事だなとは思う。

社会のレイヤーでそれを実現しているのがお隣中国である(という話も面白いのだが、今回の本題とは関係ないので省略。)

 

思っていること

前の記事に近いかも。

いまはコンサルタントなので、基本的には営業やマネージャー・パートナーが取ってきた案件をデリバリーして、お客様の期待に応えるもしくはそれ以上のモノを出すのが仕事。

その中で、売上を作らないといけなかったり、取れてしまったり(?)して、先述したとおりの得意領域や、今後挑戦していきたい領域の仕事ばかりではなかったりする。

例えば、

・クライアント社内の合意形成のために必要な提案書をまとめる

とか

・落とし所は最初からほぼ100%見えているけど、なぜそうなのかを説明するために緻密な資料をつくらないといけない(資料で使ったフォントサイズは5ポイント)

とか。

 

ぶっちゃけ自分の会社や自分が得意なことではないし楽しい仕事でもない。

だいたい毎回の打ち合わせでボコボコにダメ出しされる。下請け、みたいな扱いをされる。

ロジックが通っているのは前提だけど、ロジカルだけならAIで良い。

重箱の角をつつくような資料修正が延々と続く。

でもコンサルなので、お客様の要望には答えないといけない。

 

なのでこのような働き方だと結構しんどいなと思った。

それは何でだろう?どうしたら、ずっとこんな働き方をしなくて済むのだろう?

と考えたときに、

圧倒的に強い哲学を持っているか、確固たる技術を持っていることが大事な気がしている。

もしくはこの両方なのかもしれない。矛盾しているわけでもないし。


何に対してお金をもらっているのか

 

「何でお客がお金を払ってくれるのか」ということを考えた際に、

上記の2つのいずれか(もしくは両方)がないと、提供できる価値が「労働時間」になってしまうんだよなあ、ということ。

 

それだと例えば、上長に提案を通す必要があるけど、能力または時間が足りないので「アウトソースする」とか、

反発必至な提案を通すのに「汚れ役」をやってもらうとか

そういう使い方になる。

もしくは単純にタスクが溢れているから助けてねという「派遣労働者」。

 

近い例が電通電通はお客様にNOを言わない。どんな無茶な要望でも応える。

お客様の要望にすべてお答えするというのは聞こえがいいかもしれないけど、

自分の手元に技術がないと結局そういう世界になる。

そうなると、

・要望がどんどんエスカレートして非人間的な要求(明日までにこの資料できますか??)とかをするようになり、

更に悪いのが

・お客さんにとっての意味が「何か新しい発想や価値をくれること」とかではなく「丸投げしても全部やってくれる」「自分がやるべき仕事を(手伝ってくれるどころか)代わりにやってくれる」なので、お客さんのコミットが下がる。一緒に考えてくれない。意味があるんだかないんだかわからないようなレビューをする。ロジックはあるかもしれないけどパッションがないので楽しくない。

ということになり、もはや何のために仕事をしているか不明である。

 

21世紀に「創れる」人に

それで、今はデジタルやUXを「企画」したり「調査」したり「改善」しているけど、もっと自分の手で創れるようになりたいなと最近考えている。

具体的にはプログラマーやデザイナーに興味がある。

プログラマーは周知のようにデジタル時代に求められる職業だし、デザイナーは、もちろん綺麗で美しいものを創れるということもあるが、ビジネスや、ひいては社会課題の解決においてもデザインの考え方が求められている。その両者は、WEB・UXUI領域で仕事をしているにもかかわらず、いまあまり分かっていない。

 

あとは、最悪会社をやめても、どうにか食いつないでいけるように、というのもある(英語や中国語もできるけど、易しい翻訳の単価は低い)

 

もちろん、プログラマーやデザイナーとして働くことがいまの仕事の課題をすべて解決してくれるとは思っていないし、プログラマーやデザイナー自体、技術の高さに見合った待遇を受けられなかったり、長時間労働が状態化している現実もある。

 

ただ、新しいことに挑戦してみるのも悪くはない。仕事をだらだらやらずに早く終わらせる動機にもなるのではないかとちょっぴり期待もしている。

とりあえず、オンライン講座から始めてみて、また進捗を書いていこうと思う。

箇条書きで

プロジェクトを終えての振り返り。

あとで各項目についてはちゃんと考えたいけど、

思ったことを、大枠だけ箇条書きで残しておく。

  • 大きなプロジェクトが終わった
    • 3ヶ月という会社の中では長めの案件だった
    • 普段の案件はサイト改善や、特定のサービス・商材のコンセプトメイキングやコンバージョン向上
    • 今回はマーケ・営業の方針策定という大きなスコープ。普段よりも検討領域が広かった。プロジェクトが4本分ぐらい走っている感じ
    • 調査結果そのものよりも、整理の仕方や示唆だしが重要、そのロジックづくりの緻密さがより求められた
  • どうだった?
    • 内容について
      • 普通のプロジェクトであれば問題なく進められるが、今回はなかなかうまく行かなかった。資料1枚でもクオリティが足りないことが多かった。思考プロセスでも資料作成でもプロジェクト進行でも、かなり学びがあったので、プロジェクトだけでなく、いろいろな場面で応用できるようにしたい。
      • 特にロジカルシンキング・ロジカル・プレゼンテーション(明快な論理で相手に伝える)の大事さが身にしみてわかった。これはクリエイティブ系のしごとをする場合でも、最初のイシュー定義と具現化はロジカルさが大事。
      • 相手の関心事を明らかにしてそれに沿うようなアウトプットを作ることは、いまはやりの忖度っぽくてちょっとやだなと思っていた。ただそれがプロジェクトを進める上ではキーになる。結局アクションを促すには腹落ちして納得することが必要で、そのためには相手のマインドで、相手が考えている言葉の定義で語る必要がある。
      • ただ、やはり、社会がこれだけのスピードで進化している中で、こんな初歩OF初歩の提案をしているのか…というもどかしさはあった。日本を代表する大企業がこれでよいの?隣の中国ではもう1歩2歩どころか1kmぐらい先に言ってますけど?「欧米」の真似事どころか、日本の他社事例がないと動けないって…
      • まあそういう企業だから自社でできなくてコンサルに発注するんだろうな。進んでいる会社はコンサルに頼まなくても自社でUXチームを立ち上げたりしている。例えばメルカリがうちに発注することはおそらくない。
    • 働き方について
      • 15回ぐらい定例があって、その中で10回以上は前日か前々日に徹夜をして資料を作っていた。
      • これを続けていると仕事以外のことが何もできなくなって、本当にやばい
      • 料理や学習、趣味などはもちろん、今に埋没して、先を考えることができなくなってしまう
      • もちろん難度が高い、分量が多い、その割に時間が少ないというのはあったが、パレートの法則は本当にそのとおりだなと思っていて、与えられた時間いっぱいまで仕事をしてしまう
      • 海外の調査は楽しかった。自分にしかできない、とまではいかないまでも、自分だからできる仕事だった。英語を使った仕事をこれからももっとやっていきたい
      • ただ英語を使うというだけで満足してはいけない。どんな自分でありたいか、そのためにどんな仕事をするのか。どんな環境に身を置きたいか
  • 思ったこと
    • 誰のために働くか
      • 情熱がないクライアントだと一緒にやっていくのは辛い
      • 変えていこう、もっと良くしていこうという熱意はないけど、頭はそこそこ回るので、資料のロジックの粗ばかりつく。中身については思考をしていないので、議論ができない。レビューという感じになる。これは去年の3月にやった某半官半民と同じ。
    • 結局楽しく働けるかどうかがアサインに左右される状況はきついなと思う
      • 仕事を請ける側だと、どうしても発注者の姿勢に左右される
      • 長時間労働であったり、やりがいが感じられなかったり、良いものを作ろうというよりは、ご機嫌取りに近かったりする案件
      • 選択肢は2つ。
      • 1つ目は、自分で自分の仕事を決められる環境を作る
      • 2つ目は、そういった発注者の状況に左右されない仕事の軸や気持ちの上げ方を自分で定める
      • ただ2つ目は対症療法的で限界はあるので、長期的には1を目指すんだろうな
      • すごく苦労したり、苦手なことばかりをやった先に何があるのか?と考えたときに、2は要は我慢なので限界がある。基本は好きなことをやって生きていきたい。好きなこと=楽なこととか楽しいこととは限らなくても、やっている仕事全体が好きとか、
      • 何歳までにどんな働き方、生活を実現したいか逆算して、少しずつ準備を進めたい
      • まずは職務経歴書を書いて自分の客観視から始めるとよいのかも

結婚式

今日はサークル同期の結婚式だった。

東京は江戸川橋にある椿山荘で、披露宴とその後に続く二次会に参加してきた。

 

なぜか自分の同期は早くに結婚を決める人が多く、これで既に10人近いメンバーが結婚をしていることになる。

大学時代からずっと付き合っていて、いつ結婚するのか、と言う状況の同期も多い。

 

少なくとも直近は結婚の予定がとしては全くない自分としては、こういった披露宴や2次会に参加するたびに色々と思うことがなくは無い。

が、結婚することを決めて、夫や妻になることを決めた友人たちは1歩大人になったというか、次のステージに進んでいて、自分から見ると少しまぶしいものでもある。

 

自分は(少なくとも現時点では)男性として男性が好きになるゲイなので、

偽装結婚でもしない限り、同期たちのような結婚式を挙げたり、そもそも結婚することはない。

 

なので正直、少し冷めた目で見てしまう側面もある。

・バイトの神父が片言で「チカイマスカ?」ってなんだ

・プロの司会者、アナウンサーばりに上手だけど、なんとなく感じてしまう形式感、白々しさ。「温かく笑顔の絶えない家庭を築きたいそうです〜」そりゃ誰も笑顔がなくてギスギスした家庭にはしたくないわな

・なんで最初の挨拶や両家挨拶は新郎側だけで、お父さんお母さんへの手紙は新婦側だけって決まっているんだろう。っていうか家族が死別していたり仲悪い人はどうするんだろう。

・挨拶の半分ぐらいは「ご臨席賜りました皆様の〜」的なテンプレセリフで卒業式とかのスピーチみたい

・その挨拶が特段仲良くもない上司とかだったりするとその形式感はより加速

・全然写真撮れないし話せない!

・そもそもご祝儀3万円って高くない?

・観客に盛り上げを強制するよくわからない余興

とかとか。

 

そういう、ゼクシィが主に作り上げたと思われる、形式主義的な結婚式には違和感はある。

 

でも今までありがとうと感謝を伝えるという本質自体には賛同できるなとは思う。

なんだかんだ、親への感謝の手紙はその人の人生も思い起こさせて、感動する。

 

で、じゃあなんでそういう形式主義的な結婚式をみんなやるのか、みんなやりたがるのか。

それは、トートロジー的ではあるが、「みんながやっているから」という事実そのものが答えになるのだろうなと思った。

 

みんなが通る道だから、大外れのないように、

面白みがないかもしれないし、お金がかかるものかもしれないけど、「そういうものだから」。

参加者側も、たくさんいろいろな式に出て、変わったものへの許容度が低くなっているかもしれない。

それに、完全にゼロベースで作るのなんて不可能だし、一定のフォーマットに沿って進めるのはある意味合理的。

そういう様式美を自分もやることに意味を感じる人もいるかもしれないし、逆にぜんぜんこだわりがないから、間違いない基本テンプレで良いやと思うのかもしれない。

 

でも

やってもやらなくても良いものだったら、

皆がやるものじゃなかったら?

であればどうせやるなら、

自分にとって結婚って何?

結婚式って何?

なんでやるの?

やるとして、なんで人を呼ぶの?

誰のためにやるの?

一番伝えたいことは何?…

徹底的にちゃんと考えたい。

 

何でかって、上でぼろくそに言ったけど、結婚式そのものはしてみたかったりするのだ。

感謝を伝える場があるというのは良いし、今まで仲良くしてくれてありがとう、これからもよろしくね、って言える、そんな場があることはとても幸せだと思うからだ。

 

日本では、一部のアクティビストや先進的なカップル以外の、

多くのゲイにとっては、結婚は現実的な選択肢でないことが多い。

 

で、婚姻関係は認められないが式を挙げることはできる。

だからこそ、やるのにこだわりを持たないなんてありえないし、

やらなくても良いものをわざわざやるのだから、本当の意味で自分たちらしいものがしたい。

 

・もし、「パートナーとの交際に公的な証明がほしい」という意味で

「結婚したい」という人ができて

・そしてまだカミングアウトしていない、家族や友人にもそのことを伝えられて、関係性が続けられており、

・パートナーも結婚や結婚式に対するスタンスが似ているもしくは少なくとも合わせられる

 

という条件つきだけど、

細かいああしたいこうしたいはともかく、

 

・いつまで結婚関係が続くかもわからないし、一世一代の披露宴とか高額なご祝儀というよりは、呼びたい人が来やすいもので(式をするならコスプレ感あるけど、和装で神前式がしたいw)

・形式に従ってもいいしそうじゃなくてもいいけど、考えた結果・選択の結果これがベストだと思えるような形で

・私を祝って!というよりは、これまで仲良くしてくれた友人ともっと仲良くできたり、自分の友だちにパートナーを紹介して、家族ぐるみで付き合えるきっかけになるような、そう思ってもらえるような場作りやコンテンツで…

 

どうせやるなら、そんな式が、(もはや式と呼ぶものではないかもしれないけど)できるといいな。