Love the world🌈

ハッピーに生きたいアラサーゲイ🏳️‍🌈IT系会社員→🇬🇧で大学院生。日々の記録や考えたことなど。

三が日は終わったけれど

 

4年ぶりぐらいにブログをちゃんと書くことにしました。

 

最近はより手軽に書けるTwitterばかり使っていたので、

腰を据えて文章を書く機会を増やせるといいなと。

週に1回ぐらいのペースで、続けていけるとよいなと思う。

 

いまは冬休みで暇だから深夜に突然ブログ作り始めたりもできるけど

自分の性格上、日々の生活が始まって忙しくなったらすぐに放置するのは目に見えている。

どうせ眠れないし、明日も昼間で予定がない。

「なんのためにブログを書くのか?」をちゃんと明らかにしておこう。

 

何も考えないで生きることへの危機感

日々暮らしている中で、

「イラッとしたこと」「もやっとすること」「イイね!と思うこと」

「もっとこうなら良いのに、と思うこと」はたくさんある。

 

でもそのイラッと、とかイイね!という種は、

往々にして激流のような日々の生活の中に沈んでいってしまう。

よくてちょろっとツイートする程度。

 

しょうがないよね忙しいし、と先送りにし続け、日々何となく過ごしていると、

自分にとって大事なことが見えない、軸がない人間になってしまう。

そんな危機感を持った。

それは年を取れば勝手に身につくのではない、自分で作っていかないといけないものだと、

(特に仕事をはじめていろいろな「大人」に会うようになってから特に)思う。

 

 

感情による振れ幅を自分でコントロールするとともに、自分の価値観をもっとクリアにしたい

 

目の前の事象に対して「ムカツク!」と感情を爆発させるのは子供のやること。

だがそのまま大人に、高齢者になった人もたくさんいる。

そして自分もそういう刺激反応的なところがあるのは否定できない。

 

これは自分の怒りスイッチ(や嬉しいスイッチ)がどこにあるかわからないまま、

他人の言動に振り回されながら生きることになることを意味していて、

人に迷惑かけるとかもあるけど、単純に怖いことだなと思った。

 

自分も他人の発言に対してすぐ「は?」とか思うタイプなので、

「ムカツク!」とか「うれしい!」とかの感情の動きを掘り下げていくことで、

自分にとって何が大切か、何が好きで何が嫌いか、

今よりも少しわかるんじゃないかと期待している。

 

消費だけでなく、生産したい

人の活動を、消費活動と生産活動の2種類に分けたときに、

自分は消費するばかりであんまり生産していないなと気づいた。

映画を見るけど見るだけ、

音楽を聴くけど聴くだけ、

本を読むけど読むだけ。

そんな状況だった。

時には1日12~14時間も働くことがあるベンチャー企業勤めなので、

体力的・気力的に厳しいとかもあるけど…。

 

ただ、生産することで、その分野の楽しさや難しさ、

その道で生きるプロの技術の素晴らしさがより実感できるし、

やってみることでしか身につかないことはたくさんある。

活動がお金になる可能性だってある。

 

生産活動の多くは専門的な技術が必要だけど、(例えば映画は簡単には撮れない)

文章を書くのは、上手にできるかどうかは別にして、最も簡単にできるし、

他の何にでも繋げられる生産活動だなと思う。

例えば、

映画を見るのは消費だけど、それをもとに批評記事を書くのは生産。

Apple製品を買うだけなら消費だけど、そのレビュー記事を上げるのは生産。

 

なのでこのブログを書くのは基本的には自分のためで、

何かを生産することへのハードルをどんどん下げていきたいなと思っている。

 

本音を書ける場所

プロフィールにも書いているけど、自分はセクシュアルマイノリティで、ゲイ。

(ちなみによくゲイは「心が女の男」とかって言われがちだけど

そうではなく、男性を好きになる男性のこと。これについてはまたどこかで書くし、随時触れると思う。)

 

今の社会では、セクシュアルマイノリティが自らの性自認性的指向を意識せずに生活するのはまだけっこう難しいし、

自分のアイデンティティのすべてではないにしろ、ひとつの重要な要素であることには間違いない。

一部の親しい友人や同僚にはカミングアウトしているけど、全員に対してオープンにしているわけではない。

 

だから公開しているFacebookTwitterのアカウントだとどうしても書けないこともある。

でも、だからといってゲイである自分が考えたことに対して蓋をするわけにもいかない。

それも自分の一部なのだから。

もちろん、ゲイ以外に「日本人である自分」「帰国子女である自分」「会社員である自分」「20代の若者である自分」など、様々な「自分」の切り取り方があって、そのような様々な側面からも考えられる場にしたい。

 

そんな訳でこのブログも当面は匿名で、書いていくつもり。

そのうち気づかれるかもしれないけど。