仲の良い先輩とごはんを食べていて、
福岡で常駐しているぼくに対し(いま一時的に帰京中)
「〇〇(私)は中洲に飲みに行ったりしないの?自分だったら絶対毎晩飲み歩いていると思う。まぁ行かなそうだよなぇ」と言われた。
飲み屋やバーにふらっと行って、そこでの人との交流を素直に楽しめる人が羨ましい。
自分から人に声をかけて、「何となくお互いの存在は意識しているが、話しかけず気まずい状態」を打開できる人は、それだけでコミュニケーションの豊かな才能があると思う。
自分にはそれが出来ないし、知らない人と楽しく盛り上がるのがそれほど得意ではない。
何を話せば良いのかとか、いきなり話しかけられたら怪訝に思われるのではないかとか、自意識が強すぎるのかもしれない。自分は話しかけられて悪い気持ちはしないので、この非対称性はどこから来るんだろう?
嫌われたり怪訝に思われても別にいいや、って環境で、まずは少しの勇気を出して話しかけてみることが大事なのかな。福岡でもやろうと思えばできるのかもしれないけど、同じ日本人だからこそ差異をより意識してしまいそうな気もする。
また一人旅でもするか。前回のウズベキスタンの時よりももっと、話しかけたり交流したり、できる範囲でやっていきたいな。
上の話とは別に、
先輩と話していた時は出なかったが。
話の引き出しが少ない(と自分で思っているだけだが)ので、話を盛り上げられる自信がない、のかもしれない。
趣味的なこととか、色々なことをもっと深めるというのは、結果的により良いコミュニケーションに結びつくかもしれないなとは思う。
共通の話題があるというか。最も有名な漫画やドラマ、映画も見ていないものばかりだからなぁ。
物事を深く突き詰めた人の方が面白いというのは自分のひとつの持論で、それは何か一つのことを突き詰めることで分野に限らず深い話ができたり、そこに至る過程で積み上げたものが人としての深みに現れたりするから。
ということで、オタクになろう。
(飲み歩きよりも、ぼっち万歳)