2年ぶりぐらいにブログを動かしてみました。
最近はてなブログを始めた友人が、noteのような「繋がる」ことを前提としたプラットフォームではないのが良いと言っていて、そういえば自分も昔作ったな、と掘り起こししたのが経緯です。
(前回の更新が2019年3月。COVID-19がない世界線は、ものすごく遠く感じる…)
でも書こうと思った理由もせっかくだから残しておくと…。
この1〜2年ぐらいは日記をノートやiphoneのメモに書いていたんだけど、自分の気持ちや考えを"ちゃんとした"文章にまとめるのはすごく大事だなって。
今はSNSを開けばいろんな人がいろんな言葉を発信している。
そのどれもがよく練られており、よく言語化されている。
でも、自分の気持ちや考えを文章化する前にそれらの上手な文章を見てしまうと、自分が何を考え、感じたか、わからなくなってしまうのではないか。
その文章の下に配置されたハートやサムズアップをタップしただけで、あたかも自分も初めから同じことを考えていたかのように錯覚してしまうのではないか。
それはある意味、自分の言葉を他人に奪われている、ないし、自分の声を聴けていないことになるのではないか。
例えば映画を観たとき。
SNSやレビューサイトでのレビューはどれも的確で、共感できるものばかり。「わかる〜」「この人と似た感想だな」と思える。
でもそうしているうちに、自分の印象や感想が「上書き」され、自分自身の発言もそうしたレビューの受け売りにばかりなってしまう。
そういうことはないだろうか。
少なくとも自分は、これを繰り返していると、自分の感性、自分の思考が死んでいくなと怖くなった。
(もちろん、考えてもうまく言語化できなかった部分が、そうした練られた文章を読むことでクリアになるという側面はあるだろうし、共感する仲間を見つけるという意味でもSNSやレビューサイトは意味があるとは思う。)
そんなわけで、最近は映画を観たときや本を読んだとき、好きなアーティストの新譜を聴いたときなどは、できるだけレビューを見る前に自分の感想を書いて各種SNSやアプリに投稿するように心がけていた。
で、このブログも日々の生活の中で思ったことや感じたことを、Twitterの言語化が上手なアカウントたちに上書きされてしまう前に書き留めておこうかなと思った次第です。